キニナル 〜見てきた事や聞いた事〜

いつか、どこかで誰かの役に立つ?かも

ラストシングルの題名は

 

「僕のせいじゃない」

 

 

最初にした約束を守らなかった脚本家と日本テレビ

 

ドラマ「セクシー田中さん」の脚本をめぐり原作者・芦原妃名子さんのツイートに反響 脚本家の相沢友子さんは昨年末Instagramで心境を綴る | ガジェット通信 GetNews

 

 

 

もともと出役からキャリアをスタートしたからか?

自己顕示欲が強い?

 

脚本家としての実績はあるようだから

オリジナルのアイデアで頑張れば良かったのに?

 

相沢友子のプロフィール

高等学校在学中より文化放送でコンサート・リポーターを務め、詞を書いていたところソニーミュージックのスタッフに歌うことを勧められ、1991年3月、19歳の時にシングル「Discolor days」にて歌手デビュー。その後、ホリプロに所属し、女優活動もしながら、4枚のアルバムを発表している。シンガーソングライターであり、また加藤いづみとも親交が深く、アルバムにも楽曲を提供したこともある。当時は尾崎豊にかなり影響を受けていた。

 

 

デビューから長らく歌手兼女優であったが、ソニーホリプロとの契約を解消し、フリーとなる。フリー直後に、ホリプロ時代のマネージャーに「小説を書き、賞を狙ってみては?」と勧められ、1999年に第15回太宰治賞の最終候補作に小説『COVER』がノミネートされた。その結果をもって、前述のマネージャーの紹介で共同テレビジョン小椋久雄に脚本執筆の指導を受ける。2000年に『世にも奇妙な物語』で「記憶リセット」の脚本担当で脚本家デビューした。

 

 

2003年8月14日のニューヨークでの大停電を扱ったドキュメンタリー『ニューヨーク大停電の夜に』(2003年、NHKハイビジョン、構成・源孝志)では語りを務め、その後、大停電をエピソードとして2005年に源孝志監督により制作された映画『大停電の夜に』では脚本を手掛けた。

 

その後も、現在に至るまで、映画やドラマ(主にフジテレビ製作の作品)の脚本家として活動している。

 

 

 

 

 

[mixi]相沢さんの歌 - 相沢友子 | mixiコミュニティ