キニナル 〜見てきた事や聞いた事〜

いつか、どこかで誰かの役に立つ?かも

バッタもん 違法ギリギリのアンダーグラウンド

 

 

 

安売り一代 / 本所 次郎【著】 - 紀伊國屋書店ウェブストア|オンライン書店|本、雑誌の通販、電子書籍ストア

二重価格がまかり通る時代に、一匹狼のバッタ屋が大手電気メーカーに牙を剥いた。

 

ノルマ販売体質のメーカーに現金仕入れの独自流通ルートで相対し、手形割引、商品金融など商法ぎりぎりの手段を駆使するディスカウンター

 

喰うか喰われるかが全てのアンダーグラウンド経済を赤裸々に描き出した著者渾身の書下ろしノンフィクション・ノベル。

 

 

 

 

 

KENKOU_BLOG: アキハバラという町。

秋葉原の事情を知る大人たちは、中央通りに店舗を構える「表の」店舗と、御徒町寄りの中央通りの外側に店舗を構え商品の展示をしないバッタ屋との価格の駆け引きをする。

 

表の店舗にも、格があった。一流どころが、ヤマギワ石丸電気ラオックス・第一家庭電器(後に破綻)で、このクラスと交渉するとバッタ屋とは価格競争しないとか、B級品(故障などで返品された再生品)は、うちは扱わないからそういった店舗と競合できないとか言われる。

 

サトー無線やヨドバシ、さくらやなどはB級品や金融流れ品が混じっていると聞いた。値段が高い言い訳かもしれないが、複数の店舗で聞いた。

 

 上記の一流どころはメーカーと直接取引しており、それが店員のプライドを支えていたと思う。サトー無線やヨドバシ、さくらやなどはB級品や金融流れ品が混じっていると聞いた。値段が高い言い訳かもしれないが、複数の店舗で聞いた。  上記の一流どころはメーカーと直接取引しており、それが店員のプライドを支えていたと思う。

 

 

 

 

 

 

 

第五章~家電全盛期とパソコン黎明期(昭和50年代)~ | 秋葉原電気街振興会

また、ジャンクショップも生まれ始めた。昭和48年に国際ラジオ(非会員)、昭和49年に秋月電子(非会員)が廣瀬無線裏にジャンク(解体品)ショップを開き、秋葉原のもう一つの顔である、ジャンクショップが成長したのも50年代であった。

 

 

 

 

家電屋のヤマダやコジマより35%くらい安い、いわゆる秋葉原や神田のバッタ... - Yahoo!知恵袋